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第4話 ミナに繋がる一枚

مؤلف: 東雲明
last update تاريخ النشر: 2026-08-10 13:31:22

 授業を終えた俺は、獅子寮の郵便受けに届いていた一通の封筒を手に、談話室へ戻った。

 窓から差し込む夕方の光が、長机の上に積まれた教本を淡い金色に染めている。使い始めてまだ数日しか経っていない本の背には、もう何度も開いた跡がついていた。慣れない授業に疲れた学生たちは、椅子に深く腰かけたり、温かい飲み物を片手に今日の課題について話したりしている。

 紙とインクの匂いに、誰かが淹れた薬草茶の香りが混じっていた。

 けれど、俺は談話室の空気をほとんど感じていなかった。

 目は、手の中の封筒に引きつけられていた。

 俺の名前が、間違いなく書かれている。

 寮の郵便受けを開けた瞬間から、胸の奥で鼓動が速くなっていた。今まで一度も手紙をくれなかった相手の顔が、なぜか真っ先に浮かんだ。

「ミナ……?」

 声にした途端、期待が急に形を持った。

 俺の居場所を知って、連絡をくれたのかもしれない。何も言わずにいなくなったことを謝る手紙かもしれない。あるいは、たった一言だけでも、元気だと知らせてくれたのかもしれない。

 返事をどう書こう。

 そんなことまで考えながら封筒を裏返し、俺は息を止めた。

 差出人の欄に書かれていたのは、ミナの名前ではなかった。

 ミナを引き取った里親の名前だった。

 胸の高鳴りが、別のものへ変わる。

「どうした、ハヤト。郵便受けの前からずっと、その手紙とにらめっこしてるけど」

 長椅子に座っていたテオが、開いていた教本から顔を上げた。その向かいでは、エマが小さな紙片に授業の要点を書き出している。

 俺は二人のいる長机まで歩き、空いている椅子を引いた。

「ミナの里親からだ」

 テオの表情から、疲れを隠すような笑みが消えた。

 エマもペンを止める。

「以前、話していた女の子ね」

「ああ」

 封筒の端に指をかけたものの、すぐには開けられなかった。

 もし、中に望んでいない知らせが入っていたら。

 その考えが頭をよぎる。けれど、開けずにいれば何も知ることができない。俺は浅く息を吸い、紙を傷つけないように封を切った。

 便箋を探して指を差し入れる。

 触れたのは、厚みのある一枚の紙だけだった。

「写真……?」

 取り出したものを見て、テオが身を乗り出す。

 手紙はなかった。

 説明も、短い伝言さえも入っていない。

 写真に写っていたのは、白い壁と淡い青色の窓が並ぶ大きな建物だった。正面には緩やかな階段があり、両脇に植えられた木々の向こうから、校内の渡り廊下が延びている。

 入学してから何度か遠くに見かけた建物だ。

 ルミエールアカデミーの医療棟。

 指先が、写真の上で止まった。

 なぜ、ミナの里親がこれを俺に送ってきた。

 何の説明もなく、医療棟の写真だけを。

 頭の中で答えにならない考えが重なり、気づけば言葉がこぼれていた。

「まさか、ミナはここに……?」

 そうであってほしいという願いと、そうであってほしくないという恐怖が、同時に胸を締めつけた。

 ここにいるなら、やっと会える。

 けれど、医療棟にいるということは、何かの治療を受けている可能性がある。

 行方が分からなくなってから、ミナが病に苦しんでいるという噂を何度も思い出した。確かめる方法がなく、ただの噂だと言い聞かせてきたものが、写真一枚で急に現実味を帯びてしまう。

「見せてもらってもいい?」

 エマの声に、俺は黙って写真を渡した。

 彼女は窓からの光に写真をかざし、建物をじっと確かめた。それから机の上の封筒と写真を並べ、差出人の欄へ目を落とす。

「これは確かに医療棟ね。差出人はミナの里親。中に入っていたのは、この写真だけ」

「だったら、ミナはここにいるんじゃないのか」

 自分でも、答えを急いでいるのが分かった。

 エマはすぐには否定しなかった。写真を机へ戻し、俺の顔を見てから静かに言う。

「いる可能性はあるわ。でも、写真だけでは断定できない。誰かに会いに来てほしいのかもしれないし、建物そのものに別の意味があるのかもしれない。今分かっているのは、差出人があなたに医療棟の写真を送ったことだけよ」

 正しい言葉だった。

 それでも、胸の内側に膨らんだ期待は簡単には収まらなかった。

「一枚だけじゃ、何も分からないな……」

「逆だろ」

 テオが写真をのぞき込みながら、真剣な顔で言った。

「写真一枚しかないんじゃなくて、写真一枚も手がかりがある。昨日まで、どこを探せばいいのかも分からなかったんだろ。だったら今日は、昨日より一歩進んでる」

 あまりにもテオらしい考え方に、俺は一瞬言葉を失った。

「一歩って言っても、ずいぶん小さいぞ」

「最初から十歩進もうとして転ぶよりいい。俺なんて昨日の課題、設問を読み間違えて三歩くらい後退したからな」

「それは今、比べることではないと思うけれど」

 エマが淡々と言うと、テオは肩をすくめた。

「ハヤトの顔が少し戻ったから、比べた意味はあった」

 そう言われて初めて、俺は奥歯を噛みしめていたことに気づいた。

 胸の苦しさは消えていない。けれど、二人の声が、狭くなっていた視界を少しだけ広げてくれた。

「里親の家に連絡してみる」

 俺は端末を取り出した。

 以前使っていた連絡先は、消さずに残してある。何度か連絡しようとして、そのたびに迷い、結局かけられなかった番号だった。

 もっと早く連絡していればよかったのではないか。

 そんな後悔が込み上げる前に、俺は発信に触れた。

 呼び出し音が談話室のざわめきの中で繰り返される。テオは隣に座ったまま口を閉ざし、エマも写真のそばに手を置いて待っていた。

 やがて、通話がつながった。

「俺、ハヤト・キサラギです。そちらから手紙が届きました。ミナのことで聞きたいことがあります。あいつは今、どこにいるんですか」

 返事はなかった。

 遠くで何かが動く音も、人の声も聞こえない。ただ、通話が切れていないことを示す微かな気配だけがある。

「もしもし?」

 俺が呼びかけると、短い沈黙のあと、困ったように息をためる音がした。

「ミナ様のことは、わたしからは言えません」

「待ってください。それだけでもいいんです。ミナは無事なんですか。この写真は――」

 言い終える前に、通話が切れた。

 耳元から音が消える。

 俺は端末を下ろせないまま、暗くなった画面を見つめていた。

「切れたのか?」

 テオの問いに、わずかにうなずく。

 握った指から力が抜けなかった。

 言えないとは、どういう意味だ。

 知らないのではない。答えられないのでもなく、言えない。

 それなら、ミナについて何か知っているはずだ。だが、写真を送ったのは里親なのに、なぜ家では何も話してくれない。

 疑問ばかりが増えていく。

 机の上の写真へ目を戻すと、白い医療棟が急に冷たい建物のように見えた。

 もし、本当にあそこにミナがいるのなら。

 俺の知らないところで、ずっと病に苦しんでいたのなら。

 もっと早く探していれば、何かできたのではないか。里親の家へ何度も足を運んでいれば、連絡を諦めずにいれば、ミナを一人にせずに済んだのではないか。

 呼吸が浅くなる。

 脳裏に浮かんだのは、長い回想ではなかった。平気な顔をして無理を隠そうとするとき、ミナが少しだけ視線をそらす癖。俺を心配させまいとする、明るい声。

 あのときも、俺は気づけていなかったのかもしれない。

「俺は……何をしてたんだ」

 低く漏れた声が、やけに遠く聞こえた。

「ハヤト」

 エマが名前を呼んだ。

 俺は返事ができなかった。

「端末を置いて。壊れるほど強く握っているわ」

 言われてようやく、指先が白くなっていることに気づいた。ゆっくり手を開き、端末を机に置く。指の関節が、遅れて痛みを訴えた。

 エマは写真を俺の前へ戻した。

「不安になるのは当然よ。何も教えてもらえなかったのだから。でも、今の時点でミナが重い病に苦しんでいるとも、あなたが手遅れにしたとも決まっていない」

「けど、医療棟の写真が送られてきた」

「ええ。だから確かめるの」

 彼女の指先が、写真の端を軽く押さえた。

「まだ何も分かっていないからこそ、今ある手がかりを一つずつ確かめるべきよ。自分を責めるのは、そのあとでも遅くない。少なくとも今は、責めるための事実すら足りていないわ」

「責めるのは、あとでも勧めないけどな」

 テオが俺の隣で頬をかいた。

「エマの言う通り、考えても分からないことを全部悪い方へつなげるのはやめよう。写真の建物なら、この学校の中にある。海の向こうでも、知らない町でもない。歩いて行ける場所だ」

 俺は医療棟の正面に写る階段を見た。

 ここにミナがいるとは限らない。

 けれど、ここに何かがある可能性は残っている。

「今から行く」

 椅子を引いて立ち上がると、テオもすぐに腰を上げた。

「よし。じゃあ俺も行く」

「これは俺とミナのことだ。二人を巻き込む必要はない」

「ついさっきまで端末を握り潰しそうになってたやつを、一人で行かせると思うか?」

「潰してはいない」

「そこを反論できるなら、少しは大丈夫そうだな。でも、一緒に行くことに変わりはない」

 テオは自分の教本を閉じ、机の端へ寄せた。軽い口調ではあったが、その目はまっすぐ俺を見ていた。

 エマも紙片とペンをしまい、椅子から立つ。

「わたしも行くわ。写真を見た以上、もう無関係ではないもの」

「エマまで……」

「それに、焦っているあなたと、勢いで扉を全部開けそうなテオだけでは心配よ」

「俺まで危険人物に数えられてないか?」

「扉を開ける前に確認する役が必要だと言っているの」

 いつもの調子で言葉を交わす二人を見ていると、固まっていた胸の奥が、わずかにほどけていった。

 俺は一人ではない。

 その事実が、今はありがたかった。

「ありがとう」

 口にすると、テオは照れくさそうに鼻の下をこすった。

「礼はミナの手がかりを見つけてから、三人分まとめて聞く」

「三人分って、ずいぶん欲張るのね」

「一人一回だから普通だろ」

 俺たちは談話室を出た。

 廊下には夕方の光が長く伸び、授業を終えた学生たちの足音が重なっていた。壁にともり始めた淡い灯りが、磨かれた床に揺れている。

 医療棟へ続く渡り廊下に入ると、風が吹き抜けた。

 高い窓の向こうには、校舎の屋根と深い緑の庭が広がっている。その先に、写真と同じ白い建物の上部が見えた。

 そこへ向かおうとしたとき、正面から歩いてきた人影が足を止めた。

 蛇寮の制服を隙なく整えたマルクスだった。

 彼は俺たち三人を順に見たあと、俺の手元へ視線を落とした。

「ずいぶん慌てているな、キサラギ」

「急いでる。道を空けてくれ」

「その写真は医療棟か」

 俺は反射的に写真を胸元へ引いた。その動きだけで、マルクスは何かを察したらしい。細めた目が、俺の表情を探る。

「誰かいるのか?」

「いるかもしれない。それを確かめに行く」

「誰を」

 一瞬迷ったが、隠している時間さえ惜しかった。

「ミナだ。俺にとって、妹みたいに大切なやつだ」

 マルクスの眉がわずかに動く。

「確証は?」

「まだない。この写真が送られてきただけだ」

「写真一枚で、そこにいると信じたのか」

 声には、隠そうともしない冷たさがあった。

「いると決めつけたわけじゃない。だから確かめに行くんだ」

「同じことだ。何の説明もない写真に、自分の望む答えを重ねている」

 胸の奥を細い針で刺されたような痛みが走った。

「今、そんな言い方をする必要があるか?」

 テオが一歩前へ出る。

「ハヤトは心配してるんだ。手がかりがあるなら確かめる。それの何が悪い」

「確かめることが悪いとは言っていない。だが、期待だけで突っ走る人間は、自分に都合の悪いものを見落とす」

「ハヤトは一人ではないわ」

 エマが静かに言った。

「わたしたちも一緒に確認する。写真だけでミナがいるとは断定していないし、今できることを選んでいるだけよ」

 マルクスはエマに目を向けたが、表情を変えなかった。

「なら、せいぜい冷静に見張ることだな」

 再び、その視線が俺に突き刺さる。

「医療戦士に選ばれたからといって、自分なら誰でも救えると思っているんじゃないだろうな」

 息が止まりかけた。

「そんなことは――」

「思っていないと言い切れるか?」

 すぐに答えられなかった。

 ミナが医療棟にいるかもしれないと思った瞬間、俺の中に浮かんだのは、会いたいという願いだけではなかった。

 助けなければ。

 俺なら助けられるかもしれない。

 そう考えた。

 けれど、今の俺には、十分な知識も経験もない。授業が始まって数日しか経っておらず、開いた教本の内容すら完全には理解できていない。

 それでも、ミナが苦しんでいるなら何とかしたい。

 その願いは、ただの思い上がりなのか。

「救いたいと願うことと、救えることは違う」

 マルクスの声が渡り廊下に響く。

「肩書き一つで、その差まで消えたつもりになるな。そこに本当にその子がいたとして、お前に何ができる?」

「もういいだろ」

 テオの声から、普段の軽さが消えた。

「何ができるか分からないからって、何もしない理由にはならない」

「できないことを認めずに近づけば、相手に余計な期待を持たせることもある」

「だから三人で確かめると言っているの」

 エマは声を荒らげなかった。それでも、マルクスから視線をそらさない。

「あなたの言う通り、ハヤトには足りないものがあるかもしれない。わたしたちにもあるわ。でも、足りないことと、向き合わないことは同じではない」

 マルクスは答えず、俺の横を通り過ぎた。

 数歩進んだところで、背を向けたまま足を止める。

「現実を見てからも、同じことが言えるといいな」

 硬い足音が遠ざかっていった。

 俺はその場に立ち尽くしていた。

 マルクスを追いかけて言い返すことはできなかった。

 悔しいからではない。

 あいつの言葉が、俺自身の不安とあまりにもよく似ていたからだ。

 本当にミナがいたとして、俺に何ができる。

 会えたところで、何も救えないかもしれない。医療戦士に選ばれたという事実だけでは、目の前の苦しみを消すことなどできない。

「ハヤト」

 テオが隣に立つ。

「マルクスの言葉を全部背負うなよ」

「でも、間違ってはいない。俺には、まだ何もない」

「何もない人は、あんな顔で誰かを探さない」

 テオは医療棟の方角を見た。

「知識や力が足りないなら、これから増やせばいい。今日すぐ全部できる必要はないだろ」

 反対側では、エマが写真の端をそっと整えてくれた。

「今のあなたにできることは、事実を確かめること。そして、分からないことを分からないままにしないことよ」

 俺は二人の顔を見た。

 テオもエマも、俺なら必ず救えるとは言わなかった。簡単に大丈夫だとも言わなかった。

 それでも、そばにいてくれる。

 足りない俺を置き去りにせず、一緒に進もうとしてくれている。

 俺は写真を握り直した。

 紙を折らないように、今度は力を込めすぎずに。

 自分に何ができるのかは、まだ分からない。医療棟にミナがいるのかさえ分からない。

 それでも、分からないことを理由に立ち止まりたくなかった。

 救えると信じ込むのではなく、救うために必要なものを一つずつ見つけていく。足りない知識があるなら学ぶ。力が足りないなら身につける。誰かの助けが必要なら、一人で抱え込まずに手を借りる。

 そして、ミナがどこにいても、苦しんでいても、俺だけは諦めない。

 渡り廊下を抜ける風の中で、俺は写真の向こうにいるかもしれないミナへ、届くはずのない言葉を静かに告げた。

「ミナ、マルクスがなんと言おうとお前は俺が絶対に助ける」

東雲明

今話では、ハヤトがついにミナの行方に接近、「救いたい」気持ちと、「救えるのか」という葛藤に悩みます。今回もマルクスがハヤトに嫌がらせします。少しでもおもしろいと思われましたら評価、ブクマ、レビュー頂けますと泣いて喜びます。

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